『すごい左利き』違和感は才能の入り口だった

『すごい左利き』違和感は才能の入り口だった
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詰んでいた状況

吾は左利きだ。

そして長い間、それは「欠陥」だと思っていた。

その事実が異常なことだと知ったのは、
子供の頃、左手で文字を書いていたとき、父親に叱られたときのことだった。

悪いことはしていないはずなのに理不尽に思えたが、
程なく右手で書くことが「常識」だと子供心に察し、肩身の狭い思いを抱くようになった。

昔の価値観では、左手で鉛筆を持ったり箸を使ったりすることは行儀の悪いこと。
したがって吾も右手を使うよう矯正された。

その結果、箸だけは右手で使えるようになった。

しかし、物を書く手はついに矯正できず、以後左手を使い続けている。

「左利き」が確定した瞬間だった。

当時の敗北と感情

小学校に上がってから、左利きであることのハンディキャップを思い知ることになる。

この国のあらゆる設備や道具は、右利きの人が使うことを前提に作られている。

ノートに鉛筆で書いていくうち、紙面に接する左手の腹が真っ黒になる。
体育の授業で野球をやることになっても、左利き用のグローブがない。

クラスに左利きはもう一人いるかいないかだから、この不便を分かち合うことすらままならない。

左利きは完全にマイノリティだった。

そんな吾も、左利きであるがゆえにスポットライトが当たる瞬間がある。

サッカーにおける左側の攻撃ポジション、野球における左バッター対策。
左利きが右利きに対して有利になるスポーツで、吾はスポット的に重宝された。

だが、そんなフィーバーも程なく終わった。

結局、右利きの選手が努力、工夫することで、
吾のような凡庸な左利きを凌駕することができた。

吾の出番は終わった。

利き手が大多数の人と違うことって何のメリットがあるのだろうか。
もしかしたら、欠陥品なのではないか。

吾の憂鬱は深まるばかりだった。

転機となった書

正直、左利き礼賛本はいくつか読んだ。

ダ・ヴィンチやアインシュタインらの大天才は左利きだった。
左手を使うことで直感や感性などを司る右脳を刺激するから左利きは天才肌だ。

このような似たような内容ばかりで飽き飽きしたものだ。

だって、

ダ・ヴィンチやアインシュタイン以外の大多数の大天才は右利きでしょ?
右脳刺激しまくっても、吾のように臆病者で美的センスなしな人もいますが?

今回読んだ書『1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法』も、
やはり同類の似たような内容だった。

だが、気になる視点があった。

左利きは独自の脳の使い方をするから「違和感」を覚えやすい
脳の使い方の違いから、周囲から見ると少し個性的に思えたり、得意不得意が異なったりする

たしかに、吾は「ズレている」と感じることがよくある。

この書から得た気づき

この「違和感」は、右脳と左脳両方を動かすことにより生じる健全な感覚だという。

「ワンクッション思考」と呼称されており、
右利きの思考が左脳単一駆動であるに対し、左利きのそれは左右両輪駆動だからだという。

  • 左利きは、右脳と左脳をつなぐ脳梁を介して両方を頻繁に行き来することで、左右の脳を覚醒させ独創力を生み出している
  • 左利きは、右利き優先の社会に順応しようと、あらゆる角度から分析し、どうやったら自分もできるようになるのか、左右の脳を使って考えている

左利きは、ワンテンポ、ワンクッション置いてから解を出すが、
脳内をフル回転させることで、誰も思いつかなかった視点でアイデアを出すことができる

そういえば、吾はつねに思考がノイズまみれで、稀にふらつくこともある。
幼少期などは特に、書を読んでもノイズに邪魔され内容が頭に入ってこなかったものだ。

仕事を選ぶ際も、流れ作業的なもの、マニュアルのあるルーティン的なものではなく、
より自由度の高いデザイン制作やアプリケーション開発に喜びを感じる。

組み直した戦略

今となっては、もう右利きにコンバートすることは不可能だ。

だから、世間一般の右利き優先社会に対して反対デモを起こすなど無駄な行動は起こさず、
人に合わせてもらうのではなく自分が合わせるスタンスを護持すべきだ。

「郷にいれば郷に従え」という言い方は適当ではないかもしれない。

しかしそれでも、
吾は異邦人としての特異性を一般社会にアジャストさせるため、
ノイズまみれの脳内を躾けながらバランスを取って生き残っていくのだ。

実際に試したこと

不便なことは世の中にまだまだあふれている。

  • 駅の自動改札機は右側でICカード読み取りするようになっている
  • 電話機は左手で受話器を取る構造になっている(右手でメモを取れるように)
  • ホテルにチェックインすると、記帳用のペンを右手側に差し出される

こういったことはもう固着してしまったので是正されないだろう。

だからこそ、この「違和感」を大切にしたい。

世間をズレている実感をかなぐり捨てるのではなく、
どうすればこの不利な状況をイーブンに、そして有利に持っていけるのか。

ユニバーサル仕様に甘えてはいけない。

自ら進んで、未知の外国語や経験のない武道、苦手と思っていた料理など、
知識ゼロの状態からどこまで自らを順応させ会得できるかを試してみることにこそ、
伸び代を実感することができるのだ。

現在の状況と変化

吾はバックパッカーとして各国を遍歴していたことがある。

訪れたことのない国を数日おきに入国しては去る中、
どうしてもその国の文化や風土、言語、経済状況などに順応させる必要があった。

不安はあったが、
2,3日でその国の匂いに慣れ、簡単な会話で値段交渉できるようになっていた。

この時ほど、異質な環境に置かれることに慣れていることが役立ったことはない。
「人に合わせてもらうのではなく自分が合わせ」ている時、脳内にドーパミンが放出されるのを実感できたのだ。

今では、異なる環境に身を置いて自分を試し、伸び代を見つけることに快を感じる。

「左利きなんですね」と言われるのが誇らしいくらいだ。

同じ状況の者へ

左利きの人というより、むしろ右利きの人に提案したい。

一度、左手だけで生活してみよう。

うまく改札機にタッチできなかったり、スマホを操作できなかったりするとは思う。
その時、どうすれば改善できるのかアイデアをひねってみてほしい。

畢竟、異なる視点、異なる手段を用いることになる。

脳内がフル回転し出し「違和感」を得たら、それは不具合じゃない。
思考が拡張されているサインだ。

多くの人はその違和感を無視する。だが、そこにこそ伸び代がある。

だから歓迎しよう。

そのズレが、次の武器になる。

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この記事を書いた人

吾(われ)の名は、芝仲達(しば・ちゅうたつ)。
今は不遇を託つ境遇だが、いずれ世に出るため勉学、修練に励んでいる。

この場では、その過程で得た気づきと戦略を記していく。

うまくいかない中で自分自身を立て直し、
生き残りをかけ、リスタートさせたい人へ届くことを願っている。

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