『サリンとおはぎ』「自由でいたい」と願って人生を止めていた話

『サリンとおはぎ』「自由でいたい」と願って人生を止めていた話
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詰んでいた状況

吾は大学卒業後、就職できなかった。

その理由を当時の深刻な社会情勢のせいにしてきたが、実際のところ違った。

「自由でいたい」

どこの流行歌か思想家だかに影響されたか忘れたが、吾は社会に染まることを極端に嫌がった。

その思いは、アリバイのための面接をいくつか受けてから一層強くなった。
こんな画一的な服装の世界は怖い、こんなコンクリートの入れ物に詰め込まれるのは息苦しい。

当然、どの企業にも採用されなかった。

晴れて「自由」の身を手に入れた吾だったが、
学生時代の自由と、社会人になってからの自由は意味合いが違うことにまったく気づいていなかった。

サークルにもゼミにも所属せず、人と接するアルバイトも経験しなった吾は、
学生時代に得るはずだった密な人間関係に一切揉まれてこなかったからわかるはずもない。

だから、何かを成し遂げるとか何かになりたいという強い意志を持てずにいた。

当時の敗北と感情

二畳あるかないかの都内の狭小ワンルーム。
ここで十年ほどの間、精神は陰干しにされたかのように痩せ細っていた。

たしかに「自由」ではあった。
だが、何をしたいのかわからないので、つねに宙ぶらりんの状態。

バイトを見つけては辞めて放浪するので、貯金はどん底。
自由を到達点だと決めつけていたこともあり、まったく好転しない人生に苛立ちを感じるようになる。

だから、逃げた。

やる事なすこと上手くいかず、少しでも困難にぶつかると立ち向かわず逃げた。
自由でいることの意味を、自分が傷つかないよう、すべての責任を放棄して逃げ回ることだと定義していた。

何も達成感がなかった。

すでに吾は自由を掴んでいるから、自分の立ち位置が悪いのではない。
ただひたすら逃げて、待てばいい。「果報は寝て待て」というではないか。

諸葛亮のように三顧の礼で迎え入れられる日が来ると本気で信じていた。

ふと、妻子がいてもおかしくない年齢に差し掛かった頃、自分が惨めになり泣きそうになった。
もう何年も同じ服を着て、同じ髪型を美容師に伝え、同じスーパーの同じ食材を食べている。

どんな目的も持たず、完全に惰性で生きていた。

転機となった書

サリンとおはぎ 扉は開くまで叩き続けろ

著者は、地下鉄サリン事件の被害者という絶望的なバックグラウンドを持ちながらも、
何度も死線をかいくぐり、不可能とされた経歴を実現していくという数奇な人生を受け入れている者だ。

その著者が人生から学んだ教訓。

もう駄目だと諦めかけそうになると、何かが起こる。
いや、もう駄目だと思うところまで扉を叩き続けなければ何も起こらない。

立ちはだかる困難を受け流すのではなく、それを受け止め、逆に足場として這い上がっていく。

ものすごい圧力でのしかかってきたら、それ以上に強い力で押し返す。

著者の人生に「逃げる」という選択肢はなかった。

この書から得た気づき

こんなことも言っている。

期待された成果をまったくあげられない中で、「自由」でいることは、
ゾッとするような孤独や重圧と対峙し、それに耐えなくてはならないことでもあるのだ。

「自由」を得るためには、それ相応の代償を払わなければならない。

吾にとって自由とは、嫌なことから解放された状態であり、誰にも干渉されない楽園のことだった。

到達点だと思っていた自由は、その中間地点でもなかった。
定めた目的に向かって走りだすための、足がかりを確保した状態に過ぎないのではないか。

さらに、

起こった状況を受け入れ、それからどうするかを考えるのだ。
何か決定的なことが起きた時、その後どう行動するかがその人であり、人間の尊厳なのだ。

度し難い失敗、振り返りたくない記憶、遠回りしても避けたい場所。

こうした不快なことから「逃げる」ことなく、経験として蓄積し向き合っていかなければならない。

そうしない限り、人は集まってこないし、人に信頼されない。
そして、何より自分が成長できない。

組み直した戦略

今この瞬間をいきなり劇的に変化させることは不可能だ。

だから、過去を見つめ直し、受け入れることにした。

実際に試したこと

自身の過去を恥ずかしい人生だと決めつけるのは容易い。

だが、その中にも成功したことがあるはずだ。
真っ暗だと思っていていた人生の中で、少しでも心躍り、輝いた一瞬があったはずだ。

それを演繹的にアプローチすることから始めた。

Q1:今現在、吾が大きな怪我や病気もなく健康に生き残っているのはなぜか
Q2:今現在、吾がプログラマとして一定の評価を受けつつ生き残っているのはなぜか
Q3:今現在、吾が好きなアーティストのコンサートを楽しみながら生き残っているのはなぜか

それは、

A1:仕事中の強い眠気に嫌気が差し、食事や睡眠の改善、適度な運動を心がけたからだ
A2:都会的なトレンドに憧れて、最新のIT技術の習得に努めたからだ
A3:歌で吾を救ってくれた人たちを追いかけ続けることが、生きる上でのモチベーションになっているからだ

こう振り返ってみると、すべて自分で自分を救おうとしている。
闇に転落しそうになった時、自分で自分を引っ張り上げようとしている。

その自分を救うプロセスこそが「自由」なのではないだろうか。

その心が高揚する瞬間一つひとつが、確実に今の自分につながっているのだ。

現在の状況と変化

一日の中で内省する時間を取るようになった。

思い通りじゃなかった日、叱られてばかりだった日、大雨に濡れた日。
そんな日でも、何かしら今後浮上するきっかけになるポジティブな一瞬があったはずだ。

失敗、挫折、絶望を受け入れながら、ほんの少しの成功を探し出す。

すると、すべてがバランス取れていると思えるようになる。

「自由」というブーストがかかり、
昨日より着実に成長していると感じられるようになるのだ。

同じ状況の者へ

かつての吾は「自由」でいることを
何も背負わず、何も選ばずに済む状態だと思っていた。

だが、それは違った。

何も選ばないということは、何も得られないということだった。

本当の自由とは、どんな状況でも逃げずに受け入れ、その上でどう生きるかを選び続けることだ。

うまくいかない日も、情けない日もあるだろう。

それでもいい。

扉は叩き続けた者にしか開かない。

そして気づくはずだ。

自由とは、与えられるものではなく、自分で磨き続けるものだということに。

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この記事を書いた人

吾(われ)の名は、芝仲達(しば・ちゅうたつ)。
今は不遇を託つ境遇だが、いずれ世に出るため勉学、修練に励んでいる。

この場では、その過程で得た気づきと戦略を記していく。

うまくいかない中で自分自身を立て直し、
生き残りをかけ、リスタートさせたい人へ届くことを願っている。

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