『具体と抽象』なぜ人の話が理解できなかったのか

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詰んでいた状況

吾は、人の話を理解できないタイプだった。

理解できないというより、言われていることが頭に入らないと言ったほうが正しい。
そのため、「話聞いてる?」とよくキレられた。

意図的に拒絶しているわけではない。話を聞こうと努めている。
だが、右から左に抜けていくという表現がピッタリするほど頭に入らないのだ。

頭の中がグルグル回り続け、何かを捉えようともがいていたのはわかる。

しかし、もがけばもがくほど、返答はおろか相槌すら打てない。
肯定でも反論でもなく、自分の意見をひりだそうとすると途端に思考停止になる。

だから、交友関係でも疎外感を覚え、
自分で考えて行動しろという職場環境でも通用しなかった。

当時の敗北と感情

いつしか、吾は指示されたことしかやらなくていい職業を選ぶようになった。

それも、業務内容がマニュアル化されていて、想定問答なども用意された仕事を好んだ。

自分から発案することに強い抵抗があるので、自分の意見に自信が持てるわけがない。

指示通りの業務なら「話聞いてる?」と詰められることがないことを知るうち、
不協和音を奏でないよう意見や反論は控え、自己防衛に徹するようになっていった。

「言われたことしかやらない」「自分から動かない」という評価が聞こえてきた。
明らかにネガティブな響きだった。

組織の一員であれば、割り当てられたタスクをそつなくこなすことは当然だ。
新時代を切り拓く革命児でもなんでもないので、社会の歯車で何が悪い。

一見、開き直ったようだが、これが正論だと思っていた。

しかし、小さな部署のリーダーになった際、
「話聞いてる?」と苛立つことがしばしば起きた。

吾が作ったマニュアルに不備があったのだろうか。

そうではなく、メンバーから寄せられた不満は、
「何をすべきなのか、最終的なゴールは何なのか」わからないというものだった。

問われた吾も、その答えがわからなかった。

転機となった書

具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ

この書が伝えたいことはとてもシンプルだ。

  • 「具体」はわかりやすさを追求する
  • 「抽象」は物事の本質を追求する

具体は、文字通り固有名詞を持った実体に直結しているので誰でも理解できる。
その反面、抽象は曖昧な表現に終始し、掴みどころがなく限られた人にしか察知できない。

こうすると、知らない人とコミュニケーションを取るには具体的な伝達一択のように思える。

個人レベルでのやり取りであるならそれでいい。
だが、国家や企業のような巨大な組織において、一方がその他多数に個別に伝達するのは効率が悪すぎる。

そこで「抽象」という概念がクローズアップされてくる。

法律の条文のように、解釈の自由度が高く、応用が効き、議論の余地のある概念があってこそ、
具体的な個別の事例に対処することができる。

Amazonや楽天市場のような「場」があって、出品された「物」がやり取りされるイメージだ。

この書から得た気づき

この抽象を意識したものの見方ができると、

  • 複数のものを共通の特徴をもってグルーピングして「同じ」とみなすことで、ひとつの事象における学びを他の場面でも適用することが可能になる
  • 複数の事象の間に法則を見つける「パターン認識」の能力とも言える。身の回りのものにパターンを見つけ、それに名前をつけ、法則として複数場面に活用できる

つまり、その場で起きていることのパターンを見極めることができ、
そのパターンを横展開することで解決を早め、さらには今後何が起きるかの想定が容易になる。

いわゆる上流と呼ばれるのは、こうした抽象化を推し進めるポジションのことだ。

コンセプトを決めたり全体の構成を決めたりする抽象度の高い内容が上流の仕事で、
個別の専門分野に特化して深い知識を活用するのは下流の仕事。

プロジェクトの成否は、それぞれの課題を打開していく下流の地力が優秀でも、
効率性を高め、クオリティを追求する上流の手腕が劣っていると望ましいものにならない。

組み直した戦略

吾は書を通じてインプットすることが多いほうだが、
その際にしばしば気づくことがある。

それは、「この書は以前読んだ書と似たようなことを言っているな」ということ。

題材が同じだと似通った内容になることは当然だが、
それでも脳の働きを活性化する方法、逆境に打ち勝った人の行動など、普遍的なパターンというものは存在する。

吾はそこに着目した。

単に複数の雑多な情報のストックを増やすのではなく、
その共通点のストックを増やしパターン化することで成功への近道を見出していく。

パターン化した共通点を、解釈の自由度が高い抽象概念としてストックすることで、
個々の行動を最適化することができるではないか。

実際に試したこと

まず、そのことに気づいたのが外国語学習の最中だった。

あれほど苦しんだ英語に比べ、圧倒的短期間で韓国語が割と話せるようになったのはなぜだろう。

その理由は、日本語と韓国語には多くの共通点があるということ。
文法や発音がよく似ていることに加え、漢字の韓国語読みをマスターしたら語彙があっという間に増える。

この事実に気づいてから、
知らない単語でもそのパターンを使ってその場で発話できるようになった。

さらに、このパターン把握は、一人旅で未知の国を訪れ、生活する際にも役立った。

未知の文化、未知の生活習慣、未知の経済事情など。
これら現地人には当たり前のことは、数日その地で生活することで体得できた。

現地の言葉で値段交渉できたり、ローカルマナーに沿った喫食など、
すっかり現地人になりきっていたものだ。

現在の状況と変化

具体と抽象の枢要は、世の中の玉石混交の複雑な事象を
「幹」と「枝葉」を見分けることで要点を掴んで効率的に情報処理することだ。

以前までの吾は、具体的要件だけで立ち回っていた。
その上流にある抽象的なパターン化や戦略化についてはノータッチだった。

木を見て、個々の「枝葉」にしか目を向けず、「幹」に触れず責任逃れをしていたのだ。

上を向いてみることにした。
「何をすべきなのか、最終的なゴールは何なのか」を意識するようにした。

だが、難しいことはしていない。

  • 自分は何が得意で、何が苦手か
  • この日までにはここまでできるが、この日までになら完了できる
  • 今後こういうことが想定されるから、この対応を今やる必要がある

これまでの人生を振り返ってパターン化した吾のパーソナリティを
明確にクライアントに伝えるようにしている。

こうした吾なりの規律を確立した後、
「話聞いてる?」とキレられたことは一度もない。

同じ状況の者へ

もし「話が頭に入らない」と感じているのなら、それは理解力がないのではない。

具体だけを追って、抽象を見ていないだけだ

目の前の言葉や指示を、そのまま受け取ろうとしなくていい。

「つまり何の話なのか」
「最終的にどこへ向かうのか」

この2つだけを意識してみてほしい。

枝葉ではなく、幹を見る。
それだけで、同じ話でもまったく違って聞こえるようになる。

かつての吾がそうだったように。

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この記事を書いた人

吾(われ)の名は、芝仲達(しば・ちゅうたつ)。
今は不遇を託つ境遇だが、いずれ世に出るため勉学、修練に励んでいる。

この場では、その過程で得た気づきと戦略を記していく。

うまくいかない中で自分自身を立て直し、
生き残りをかけ、リスタートさせたい人へ届くことを願っている。

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